宮城県支部の活動

「子どもたちの3・11ユニセフ東日本大震災報告写真展」

2012年10月5日

入口:読売新聞社撮影の写真「ままへ・・・」

入口:読売新聞社撮影の写真「ままへ・・・」

大勢の方に見ていただきました

大勢の方に見ていただきました

河北新報社、朝日新聞の撮影写真

河北新報社、朝日新聞の撮影写真

全世界のみなさまからのあたたかいご支援によって展開されている被災地での緊急・復興支援活動の様子を伝える写真展です。写真1枚1枚の向こうにあるそれぞれの大切な命と、被災を乗り越えて生きる子どもたちの姿、復興への希望を感じ取っていただきました。「私たちは3・11を忘れない!」ことを多くのみなさまにお伝えすることができました。

写真展示期間 10月2日(火)〜6日(土) 10時〜18時 (最終日終了16時)
展示会場   東北電力グリーンプラザ アクアホール
         (仙台市青葉区一番町3-7-1 電力ビル1F)
来場者 2,283名(5日間)
主催  宮城県ユニセフ協会
後援  宮城県 仙台市 宮城県教育委員会 仙台市教育委員会 河北新報社 
    朝日新聞仙台総局 毎日新聞社 読売新聞東北総局 NHK仙台放送局 
    Date fm 仙台放送 東北放送 東日本放送 宮城テレビ放送 
    宮城県生活協同組合連合会 みやぎ生活協同組合

来場者の感想(被災地宮城)
●凄惨な現実に起こってしまった震災の写真に涙が流れました。つらいけれどしっかり残していかなければならないと思って見ました。そして、今私にできることを考えさせてもらう写真でした。(青葉区、K)
●亡くなった奥様にすがるだんな様の写真が印象に残りました。1年半が過ぎましたが、忘れずに、被災した方々と共に、復興に協力できたらと、あらためて思いました。
●この写真展を見て、またあの日のことを思い出しました。今、自分は何事もなかったかのように、もとの暮らしに戻りましたが、あの日のことを忘れてはいけないのだと、再び強く思いました。(青葉区、Y)
●涙なしでは見れない写真展でした。私はこの年齢になっても涙するのだと。ユニセフの方々のご活躍も頭が下がります。この出来事をずっとずっと忘れ去られることなく、生かされたこの命の限り祈り続けます。
●1年半前、私はここ仙台駅にいましたが、まさか起こってしまった現実がここまでのものだとは・・・。あの日あの時はまだ知りもしませんでした。あれから仙台の街やライフラインはもとの姿にもどりましたが、人々の心はどうでしょうか・・・。街の姿や景色が戻ったとしても、この震災を経験した人の心は以前のようには戻ってはいけないのだと思いました。でも、どうしても少しずつその気持ちさえも忘れていってしまうのも人間なのかもしれません・・・。だからこそ、このようにあの日あの時を振り返ることのできるこのような場所が私たちには必要なのかもしれません。
●入り口の写真を見てから、一歩も中には入れませんでした。涙が止まりません。どうしよう・・・。受付の人に訳を言って、少し心が落ち着くまでいろいろとお話しをさせていただきました中に、一歩一歩と進んでいけたのは20分ほどしてからでした。あ〜!う〜!とハンカチで口を押さえて1枚1枚見ていきました。最後の1枚を見て、その場にすわり込んでしまいました。奥様の御遺体にすがりつくご主人、若いご夫婦の姿・・・。このような場面が数多くあった事でしょう。このことは絶対に忘れてはいけないと心に誓いました。(宮城野区、主婦68歳)
●入り口の写真を見たら、涙があふれてきた。私は新地(福島県)の海岸近くで生まれ育ちました。海は大好きだったが、今回の津波は憎い。山元町の親戚も7人ほど犠牲になり悲しんでおります。子どもの写真を見ると少しはいやされます。(太白区、T.T)
●写真の中から、色々な(さけび)が聞こえました。私たちはどんなことがあっても、3・11を忘れることなく、今を生きていることに感謝です。1年半たってしまった・・・?まだ1年半・・・?毎日、被災地、仮設住宅、みなし仮設、自力で生活している方々の声を少しでも遠くの方々に伝え、こんなふうにガンバっているんだよ〜!!とか、つらいつらい毎日を送っているとかのメッセージを伝えています。[ともに][共に]いつも寄り添って前進しようネー!!って。ユニセフの皆様に心からありがとう。80%はつくしてネ。後の20%は自分の為にとっといてください。あすの活力の源の為に。現場の子どもたちの心の奥のケアをこれからもお願いします。もちろん私自身もお手伝いさせていただきます。現在、仮設住宅の中で、大人たちがトーンダウンしています。トラブル、ネタミ等々、これからが本当の意味での共に寄り添う時だと思います。写真展を開いていただき、ありがとう。そしてご苦労様。
●私自身も津波ですべてを失い、身一つで逃げて参りました。でも、何も残らなかったけど、家族は皆無事だったから、有難いと感謝してます。同郷の人たちが沢山亡くなりました。写真を見て、何も言葉が出ませんでした。この先どうなるかわかりませんが、助かった命を大事にして生きて参りたいと思ってます。(青葉区、K.O)
●今、私自身ガンの再発でなやんでいる毎日。生きるとは、どんなことなのか、かんがえています。水をはこぶ少年、ぼくはがんばるんだ、そう言っているように思います。おばちゃんもがんばらなくてはね。少年よ、がんばってね。
●(東北放送)ラジオで六華亭遊花さんが、この写真を説明しながら言葉につまっておられました。1年半も過ぎた今も悲しみが押し寄せます。福島の様子はあまり放映されておらず、どんなに大変なことかと案じます。まだ、おそらく御遺体も捜せないのでしょう。私たちの済む地域も宅地被害が多く、今も毎日のように家屋が解体されています。みんなが元気で幸せな暮らしができる日を願っています。ユニセフの方々が早速手をさしのべて下さり、ありがとうございました。私も自分にできる小さなことをやっていきたいです。
●テレビや新聞とは違う、心に響く深い一瞬を、写真に因り見れました。家族の大事さ、家族を助けたいと思う心の温かみ、失くしてはならない日本人と日本国の良さを、再び見つめる時間を持てました。失った生命を、幼い子どもたちが多く目の当たりにした現実と、大人の私たちの成せる援助と、どうか平等に心を救うものでありますようにと、願います。美しい花が咲く、美しい木々が立ち並ぶ、色とりどりの景色に囲まれる温かに暮らせる未来。次世代の子どもたちに、日本の良さを伝達できますように。明るい希望は人間の心を助けてくれます。明るい話題は人間の心を温めてくれます。小学生、中学生、高校生、被災地のすべての方々を助ける為に努力を惜しまなかった勇気に応えて、明るい未来を築いて下さいね。
●展示を見ることで現地の様子がよくわかった。しかし、切り取られたその瞬間の前、後にはどんなことがあったのだろうかと思うと、とても切ない気持になった。とにかく1日も早い平穏な生活が戻ってほしいと祈らずにはいられない。そして、自分の幸せな毎日に感謝しなくてはと思った。
●できるだけ多くの場所で開催していただきたい。そして、震災の悲しみを風化させないよう、お願いしたい。それが、残された私たちの義務ではないでしょうか。できるだけ多くの場所で、できるだけ多くの人へ! すばらしい場所の提供をありがとうございました。
●七ヶ浜の実家は波でこわされ、母がなくなりました。いまだ住民は戻ってきません。父と弟が改築した家に住んでいます。また災害がおきたらと、不安です。
●読売新聞に掲載された愛海ちゃんの写真を見にきました。愛しく胸がいっぱいになります。他の写真も当時を思い出し、涙が出てきます。まだまだ被災地は瓦礫の中、片付けは終わっておりません。瓦礫搬入を拒否している地域の人たちに是非とも見て欲しい企画です。もう一度日本人の絆を思い出して、もっと優しくなって欲しいです。(青葉区、70代)
●震災の写真展があるということを知人から教えていただき、また、テレビでも知り、来てみました。いままで写真集も買ってみましたが、こんなに大きく写されているので、またまた涙が出てしまいました。犠牲になられた家族のことをも思い出し、どんなにか辛かっただろうと思います。ユニセフの方々の力強い応援で復興がなされていくのですね。心よりお祈り申し上げます。(泉区、M.H)
●震災の写真展を見まして、言葉にならず、ユニセフの係の方から今回の写真展のお話しをお聞きし、今回の大震災の現実をこれからの世代に語りつぎ、少しでも震災に対して防ぐことができますように話していきたいと思います。ユニセフの係の方々、このような機会をあたえていただきまして、本当にありがとうございます。これからもがんばってください。私たちも努力致します。
●テレビニュースで知り、ぜひ見たいと思って来ました。ユニセフからは多くの支援を受けて居りましたことを知って居りましたが、改めて感謝申し上げます。私の知人の多くも会員となって居ります。南三陸町より、昨年3月21日に仙台にきました。今は、みなし仮設としてアパートに住まわせていただいて居ります。写真を見て涙が流れました。
●震災の後、たくさんの被災地の映像が流れ、多くのドキュメンタリーが流されましたが、全てから目をそらしていました。あの日を思い出すのも嫌でしたし、放射能の問題など、これから背負っていかなくてはならないことにふれるのは、もっと嫌でした。今日、たまたま目に入った写真展で、あの日の出来事に少し触れることができました。全ての写真、胸が痛かったです。なので、この写真の現状に対して、自分ができることをしなくてはならないと感じました。まずは、ずっと目をそむけていた所に向き合うことから始めたいと思います。
●最初に入ってすぐの写真を見て涙がこぼれました。同じ年の孫がいます。私もあの日、孫と二人で電車の中にいました。あの時はまだ3歳になったばかりで、今思うと、本当にきのうのことのように思い出されます。4歳になって、今もたまに電車に乗ると、あの時のことを口にします。まだ小さいのに、ちゃんと覚えているんです。今日はどうしても見たくて、この会場に来ました。新聞でも、水を運ぶ子どもさんのことが書いてありました。涙、涙です。今日はゆっくり見ていきたいと思います。
●分かっているようで、写真を見て分からないことが、いや、知らなかったことがたくさんありました。地元に居て、こんな自分の見聞のせまさに少々情けなくなり・・・。一日の中で、フト思い出す時を見つけたいと思います。又、このような写真をしょうがい蔵などに保管せず、日本国中どこかで人の目にふれることを願います。皆さんありがとう。そして、がんばろう・・・。
●あの日のことがまざまざと思い出されます。残念だけれども地震をとめることも、予知さえもまったくできない現状を思うと、近い将来、そしてその先の未来、また地震が起きることは“あり得ない”ことではないのだと、いつまでもその気持ちをとどめておかなくてはなりません。その意味でこの写真展は衝撃的な写真もありますが、惨事を過去のものと風化させないためにも大変有意義なものだったと思います。物理的に遠くなればなるほど、この震災に対して「東北の食物は放射能が心配」という声をはっきり聞きます。どこの地でも、いつ天変地異のようなことが起きるかわからないという、啓蒙の意味もこめて、ぜひ全国で写真展を開催していただきたいと思います。尊い命を奪われたみなさまに、心より 合掌。
●余りにも多くの命を奪った東日本大震災、そして1年7ヶ月経とうとしているのに、27万人もの方々が仮設住宅にいらっしゃる。復興の遅すぎる現実に腹立たしさを覚えます。一人ひとりができることをせい一杯と、被災者が日々努めている姿に胸をうたれます。子どもたちの笑顔が大人を元気に、笑顔にしてくれているのですね。希望、やはり何といっても子どもたちが希望です。ボランティアの数も減り、東北以外ではかなりの温度差があり、行政・政府が是非、もっとしっかり復興支援策をとり、被災者を安心させて欲しいと強く望みます。(泉区、Y.Y)